小さなキッチンから主婦サリーのささやかな暮らしを届けます。
もう少しお散歩しましょう。
ハマナスの花。
この辺りに群生地があるはず
なのですが。
咲き誇るというよりはちらほら
といった具合。それでも初めて
見るハマナス。こんなかわいい
ピンクの大輪なのですね。
どん淵池、旧舟屋跡です。
伊根の舟屋も見たかったなあ。
今回の忘れ物です。
あら、丹後あかまつ号ですよ!
これはカフェ列車なのです。
たくさんのいろんなソファ席も
あって、それもまた楽しそう。
今回、私たちはバスでやって
きましたが、それもまた
いいこともありまして。
途中のサービスエリアでお買い物♪
地元のスーパーでは買えない
章姫やおいしそうな玉ねぎに
出合えました。丹波ならではの
黒豆を使ったかりんとうは
おなすさんチョイス♪
幸運のシンボルの亀さん。
あら、本物もいたのね。
丹後でもぼうしパン?と
思ったら、これはなんと
鉄兜パンでした。いやはや。
残念だったのが丹後でのお昼。
お目当てのお寿司屋さんが
臨時休業の上、この日ほとんどの
お店がお休みで、選びようが
ありませんでした。
丹後名物の鯖そぼろを使った
お寿司や。
お刺身に。
焼き魚などをいただきました。
次は華やかな海鮮丼を
楽しみたいな。
この日も夫婦合わせて6万歩近く
歩いたので、冷えたビールの
おいしいこと。
夜はしっかり焼肉♪
お肉もお代わりして、〆は
石焼きビビンパも平らげて。
36回目の結婚記念日。
二人いっしょに絶景を楽しめて
しっかりゴハンも食べられて。
ありがたい幸せに
ただただ感謝します。
日本三文殊のひとつ、知恩寺の
文殊堂。「三人寄れば文殊の智恵」
の文殊菩薩さまが祀られています。
松並木にも「智恵の松」が
ありましたね。
多宝塔。室町時代のものとして
重要文化財に指定されています。
手水舎。松の木に小さな扇子が
たくさん掛けられています。
これは「すえひろ扇子おみくじ」♪
まるで花が咲いたように見えます。
せっかくなので運試し。
うれしいことに「大吉」が出ました♪
このおみくじは吉凶に関わらず、
境内の松の木に結びつけるのが
習わしだそう。
ということで、私もしっかり
松の木に扇の花を咲かせました。
智恵の輪灯籠。
江戸時代、輪の中に灯がともされ、
文殊水道(天橋立水路)を行き来
する船の標になっていたそうです。
門前で有名なのがこの四軒茶屋。
江戸時代から300年以上、
「智恵の餅」を作り続けています。
今の時代でもネット販売はおろか、
駅の売店でも買えない特別な
お餅です。
食べると智恵を授かるという
ありがたいお餅。こちらは
吉野茶屋♪
彦兵衛茶屋。
勘七茶屋。
そしてちとせ茶屋。
こちらは旅館やワイナリー、
カフェなども手がけています。
そのカフェでひと休み。
pinはフランス語で松のことです。
このカフェの眺望の素晴らしさと
きたら! 目の前に海と
松並木です。
しかもカフェから廻旋橋が見えます。
運がよければ、くつろぎながら
橋が廻るのを楽しめます。
予習済み(笑)の私たちは
朝のうちに見ておきました。
これが小天橋、別名廻旋橋です。
船が通るたびに橋が90度旋回
します。
昔は手動でしたが、昭和35年から
電動になりました。
こういうのは動画ですよね。
相変わらずのアナログサリー。
静止画でお届けします。(^^;)
さあ、廻り始めましたよ。
どんどん廻って。
ついに90度♪
右手から観光船がやってきて。
無事、通り抜けて。
再び、橋は廻り出して。
はい、元通り♪
しかと見届けました。
再びカフェに戻りまして。
こちらはワイナリーもやっている
だけあって、ワイン飲み放題の
コーナーもありました。
おなすさんは赤の辛口を。
私はご当地サイダーの七姫
ソーダと智恵の餅もなかを
いただきました。どちらもとっても
おいしかったですよ。
ちなみに七姫とは
安寿姫、乙姫、小野小町、羽衣天女、
間人皇后、静御前、細川ガラシャ。
丹後にゆかりのある姫たちのことを
言うそうです。
智恵を授かるべく(笑)、お休み
だった一軒を除き、ほか三軒の
智恵の餅を買ってきました。
おなすさんと食べ比べです。
お店の方の言う通り、
本当にどれも見事に味が違いました。
それぞれに良さがあって
甲乙つけがたいのが正直なところ。
次は是非、残る一軒の智恵の餅を
いただきたいと思います。
思い出にお茶を買いました。
しばらくはこの風景を眺めて
楽しみましょう。
笠松公園に行く方法は4つ。
陸路なら松並木を歩くか、
レンタサイクルで。
あとは観光船やモーターボートに
乗って、海を渡ることです。
海を南北に隔てる細長い砂州。
幅20~170メートル、全長約
3.6キロで、約8000本の黒松が
茂る並木道。せっかくなら
この海の真ん中、松並木の道を
歩いてみたくなりませんか?
まずは大天橋を渡りましょう。
青い空と海に同じく青い欄干が
映えますね。
本当に穏やかな海。
心もいつもこうでありたい。
波風など不要ですわよ。
しかしこの松並木を歩く変わり者は
おなす&サリーぐらいですね。
サイクリングの方はたまにお見かけ
しましたが。(笑)
お、与謝野寛、晶子ご夫妻の
歌碑です。お二人は幾度もこの
天橋立を訪れて、たくさんの
歌を詠んだそうです。ここには
「晶子の松」もありましたよ。
「智恵の松」♪
1本の松が三叉に分かれていること
から、「三人寄れば文殊の智恵」に
ちなんで命名されたそうです。
剣豪、岩見重太郎が父の仇討ちを
する際、刀の切れ味を試したと
される石だそう。このざっくりと
切られた石の上や周りに一円玉が
たくさんあるのが見えますか?
なんでもこの石の上に
一円玉を乗せると
いつまでも一緒にいられるという
おまじないがあるのだそうです。
おなす&サリーもそっと一円玉を
乗せました。これからもずっと
一緒にいられますように♪
それにしても気持ちの良い
並木道です。皆さん、ぜひぜひ
歩いてみてくださ~い。
右手に宮津湾。
左手に阿蘇湾。
砂浜に寄り道して。
深呼吸したり。
物思いに耽ったり。
命の洗濯をするにはもってこいの
場所です。
「夫婦松」♪
1本の幹から釣り合いのとれた1本が
現れ、夫婦の如く仲良く寄り添う
名松だそうです。
実はこの日はおなす&サリーの
36回目、そしてTちゃん&こなすの
3回目の結婚記念日でした。
若夫婦の名前には松が入っている
こともあり、このめでたい日に
会いたい松だったのです。
もう一つ、会いたかったのがこの
「なかよしの松」♪
二俣でバランス良く立ち、なかよく
している様子から名付けられました。
ようやく松並木を抜けました。
モーターボートで4分、観光船なら
12分。徒歩はもちろん時間も体力も
使いますが、それ以上の価値は
充分にあります。
笠松公園まではリフトかケーブル
カーですが、この日はケーブル
カーが運休でした。
私は偶然、全リフトの中で一台だけ
ある金色のリフトに乗りました。
「いいことありますよ♪」と、
係員さんに言われて、なんて
うれしいの! 降りてからおなすさんに
自慢しました。(笑)
そうしたらすぐにいいこと♪
かわいい妖精のかさぼうに
会えました。6月7日生まれの
男の子だそうです。(^o^)
ここでも恒例の股覗きをしました。
ここからだと天への架橋に見える
そうです。こちらもまたぜひ
確かめにいらしてくださいね。
かわらけ投げもできます。
う~ん、天橋立ビューランドのより
こちらの方が難しいかも。
それにしてもこの海の真ん中を
歩いて渡ったことに静かな感動を
覚えます。一円玉も置けて、
「夫婦松」と「なかよしの松」にも
会えて、記念日にふさわしい思い出
がまたひとつ増えました。
展望台にある願いの鐘。
天橋立ビューランドにも大きな
ハートがありました。
二組の夫婦、これからもずっと
なかよしこよしでいられますように。
帰りは観光船に乗ることに。
韓国の仁川を思い出します。
えびせんを買って、カモメに
あげるのですね。
私たちは今回はパス。
しかしなんということでしょう。
お腹いっぱいなのか、カモメは
見向きもしませんでした。
これではがっかりですね。
船はグングン進むので実に
爽快。
歩くのもいいですが、これもまた
良し♪
松並木を眺めながら、ああ、ここを
歩いたのねえと再びしみじみ。
何度も感動を味わえて、ありがたい
ことこの上なしです。
陸路なら松並木を歩くか、
レンタサイクルで。
あとは観光船やモーターボートに
乗って、海を渡ることです。
海を南北に隔てる細長い砂州。
幅20~170メートル、全長約
3.6キロで、約8000本の黒松が
茂る並木道。せっかくなら
この海の真ん中、松並木の道を
歩いてみたくなりませんか?
まずは大天橋を渡りましょう。
青い空と海に同じく青い欄干が
映えますね。
本当に穏やかな海。
心もいつもこうでありたい。
波風など不要ですわよ。
しかしこの松並木を歩く変わり者は
おなす&サリーぐらいですね。
サイクリングの方はたまにお見かけ
しましたが。(笑)
お、与謝野寛、晶子ご夫妻の
歌碑です。お二人は幾度もこの
天橋立を訪れて、たくさんの
歌を詠んだそうです。ここには
「晶子の松」もありましたよ。
「智恵の松」♪
1本の松が三叉に分かれていること
から、「三人寄れば文殊の智恵」に
ちなんで命名されたそうです。
剣豪、岩見重太郎が父の仇討ちを
する際、刀の切れ味を試したと
される石だそう。このざっくりと
切られた石の上や周りに一円玉が
たくさんあるのが見えますか?
なんでもこの石の上に
一円玉を乗せると
いつまでも一緒にいられるという
おまじないがあるのだそうです。
おなす&サリーもそっと一円玉を
乗せました。これからもずっと
一緒にいられますように♪
それにしても気持ちの良い
並木道です。皆さん、ぜひぜひ
歩いてみてくださ~い。
右手に宮津湾。
左手に阿蘇湾。
砂浜に寄り道して。
深呼吸したり。
物思いに耽ったり。
命の洗濯をするにはもってこいの
場所です。
「夫婦松」♪
1本の幹から釣り合いのとれた1本が
現れ、夫婦の如く仲良く寄り添う
名松だそうです。
実はこの日はおなす&サリーの
36回目、そしてTちゃん&こなすの
3回目の結婚記念日でした。
若夫婦の名前には松が入っている
こともあり、このめでたい日に
会いたい松だったのです。
もう一つ、会いたかったのがこの
「なかよしの松」♪
二俣でバランス良く立ち、なかよく
している様子から名付けられました。
ようやく松並木を抜けました。
モーターボートで4分、観光船なら
12分。徒歩はもちろん時間も体力も
使いますが、それ以上の価値は
充分にあります。
笠松公園まではリフトかケーブル
カーですが、この日はケーブル
カーが運休でした。
私は偶然、全リフトの中で一台だけ
ある金色のリフトに乗りました。
「いいことありますよ♪」と、
係員さんに言われて、なんて
うれしいの! 降りてからおなすさんに
自慢しました。(笑)
そうしたらすぐにいいこと♪
かわいい妖精のかさぼうに
会えました。6月7日生まれの
男の子だそうです。(^o^)
ここでも恒例の股覗きをしました。
ここからだと天への架橋に見える
そうです。こちらもまたぜひ
確かめにいらしてくださいね。
かわらけ投げもできます。
う~ん、天橋立ビューランドのより
こちらの方が難しいかも。
それにしてもこの海の真ん中を
歩いて渡ったことに静かな感動を
覚えます。一円玉も置けて、
「夫婦松」と「なかよしの松」にも
会えて、記念日にふさわしい思い出
がまたひとつ増えました。
展望台にある願いの鐘。
天橋立ビューランドにも大きな
ハートがありました。
二組の夫婦、これからもずっと
なかよしこよしでいられますように。
帰りは観光船に乗ることに。
韓国の仁川を思い出します。
えびせんを買って、カモメに
あげるのですね。
私たちは今回はパス。
しかしなんということでしょう。
お腹いっぱいなのか、カモメは
見向きもしませんでした。
これではがっかりですね。
船はグングン進むので実に
爽快。
歩くのもいいですが、これもまた
良し♪
松並木を眺めながら、ああ、ここを
歩いたのねえと再びしみじみ。
何度も感動を味わえて、ありがたい
ことこの上なしです。
5月はお出かけにもってこいの季節♪
ゴールデンウィークも明けたので
おなす&サリー、ようやく
出動です。(^_^)v
やってきたのはこちら。
これにてサリー、日本三景も
コンプリート♪ おなすさんは
宮城の松島を残すのみです。
文珠山の頂上にある、天橋立
ビューランドにはモノレールか
リフトで向かいます。
私たちはリフトで。
青空が広がって、実に気持ちの
よい朝。思わず鼻歌がこぼれます。
下りのモノレールとすれ違います。
ねえ、本当に素敵な朝ですねえ。
そして憧れの景色が目の前に。
想像以上の美しさにただただ
感動。ずっと見ていられます。
やはり百聞は一見にしかず。
日本にはこんなにも美しい
絶景があるのですね。
よっこらしょ。
おなすさんお約束の股覗き♪
夫婦揃って身体が硬いので(笑)
無理のない程度にね。
逆さに覗くと
天に昇る龍の姿に見えると
言われています。
どんな龍に見えるか、
ぜひ皆さんの目で
確かめてみてくださいね。
これは飛龍観回廊。
曲がりくねった龍の形の
回廊から天橋立を望みます。
長さ約250メートル、高さは
最大8.5メートル。結構
足がすくみます。それでも
360度の大パノラマは最高♪
自然の成せる不思議な造形。
心躍る空中散歩を楽しんだら。
観覧車に乗る?
いえいえ、この日はですね。
YouTubeで見て、ゼッタイに
乗りたかったこちらに。
サイクルカーです。
二人乗りの自転車を漕いで
天橋立の絶景を見渡します。
美しさに見惚れて一時停止が
過ぎると、後続の迷惑に
なるのでほどほどに。(笑)
目の前に広がる阿蘇湾と宮津湾、
そしてそれを分ける松並木。
青い空、青い海、美しい緑。
絶景を見下ろしながらの空中
サイクリング、最高の時間でした。
あら、あんなところにソフトクリーム。
ここにはおいしいアイスがあるの
ですが、私のお目当ては……。
その名も天橋立プリン♪
なめらかでとってもおいしい
プリンです。瓶は記念に持ち帰り
ました。有効活用しますわよ。
下りのリフトも最高!
目の前にこの景色ですもの。
さあ、松並木の向こう側、
笠松公園に向かいましょう。
ゴールデンウィークも明けたので
おなす&サリー、ようやく
出動です。(^_^)v
やってきたのはこちら。
これにてサリー、日本三景も
コンプリート♪ おなすさんは
宮城の松島を残すのみです。
文珠山の頂上にある、天橋立
ビューランドにはモノレールか
リフトで向かいます。
私たちはリフトで。
青空が広がって、実に気持ちの
よい朝。思わず鼻歌がこぼれます。
下りのモノレールとすれ違います。
ねえ、本当に素敵な朝ですねえ。
そして憧れの景色が目の前に。
想像以上の美しさにただただ
感動。ずっと見ていられます。
やはり百聞は一見にしかず。
日本にはこんなにも美しい
絶景があるのですね。
よっこらしょ。
おなすさんお約束の股覗き♪
夫婦揃って身体が硬いので(笑)
無理のない程度にね。
逆さに覗くと
天に昇る龍の姿に見えると
言われています。
どんな龍に見えるか、
ぜひ皆さんの目で
確かめてみてくださいね。
これは飛龍観回廊。
曲がりくねった龍の形の
回廊から天橋立を望みます。
長さ約250メートル、高さは
最大8.5メートル。結構
足がすくみます。それでも
360度の大パノラマは最高♪
自然の成せる不思議な造形。
心躍る空中散歩を楽しんだら。
観覧車に乗る?
いえいえ、この日はですね。
YouTubeで見て、ゼッタイに
乗りたかったこちらに。
サイクルカーです。
二人乗りの自転車を漕いで
天橋立の絶景を見渡します。
美しさに見惚れて一時停止が
過ぎると、後続の迷惑に
なるのでほどほどに。(笑)
目の前に広がる阿蘇湾と宮津湾、
そしてそれを分ける松並木。
青い空、青い海、美しい緑。
絶景を見下ろしながらの空中
サイクリング、最高の時間でした。
あら、あんなところにソフトクリーム。
ここにはおいしいアイスがあるの
ですが、私のお目当ては……。
その名も天橋立プリン♪
なめらかでとってもおいしい
プリンです。瓶は記念に持ち帰り
ました。有効活用しますわよ。
下りのリフトも最高!
目の前にこの景色ですもの。
さあ、松並木の向こう側、
笠松公園に向かいましょう。
長崎は日本一かまぼこ屋さんが
多いそうですが、本当に
おいしそうな練り物を
よく見かけました。
それも正統派のものから……。
こんなカワイイものまで。
ピンクの♡もあったのですよ。
私はこの猫ちゃんを♪
チーズも入っておつまみにも。
今夜はステーキ♪
長崎牛?
なあんてね。
これはお魚ステーキなのでした。
でもよく出来ていますね。(笑)
名物の角煮バーガーは買ってきて
うちで食べました。ふわふわで
トロトロ。おいしかったです。
カワイイものに目がない私。
同じお店でこちらも。
小ぶりで目鼻付き♪
食べるのが惜しくて(笑)
今はまだ冷凍庫です。
初めての長崎の旅。
異国情緒に溢れ、歴史を知るための
世界遺産も。
ハウステンボスのチューリップは
忘れられませんし、稲佐山の夜景も。
今回ももちろんナビゲーターおなすさんの
おかげですべてのミッションをクリアできました。
いつもながら感謝感謝です。
いつかまた長崎♪
その日を楽しみに、また毎日を
マジメに(笑)暮らします。
多いそうですが、本当に
おいしそうな練り物を
よく見かけました。
それも正統派のものから……。
こんなカワイイものまで。
ピンクの♡もあったのですよ。
私はこの猫ちゃんを♪
チーズも入っておつまみにも。
今夜はステーキ♪
長崎牛?
なあんてね。
これはお魚ステーキなのでした。
でもよく出来ていますね。(笑)
名物の角煮バーガーは買ってきて
うちで食べました。ふわふわで
トロトロ。おいしかったです。
カワイイものに目がない私。
同じお店でこちらも。
小ぶりで目鼻付き♪
食べるのが惜しくて(笑)
今はまだ冷凍庫です。
初めての長崎の旅。
異国情緒に溢れ、歴史を知るための
世界遺産も。
ハウステンボスのチューリップは
忘れられませんし、稲佐山の夜景も。
今回ももちろんナビゲーターおなすさんの
おかげですべてのミッションをクリアできました。
いつもながら感謝感謝です。
いつかまた長崎♪
その日を楽しみに、また毎日を
マジメに(笑)暮らします。
長崎銘菓といったら
いちばんに思い浮かぶのは
カステラです。
老舗もたくさんあって
どこで買おうか迷うほど。
こんな神社までありますよ。
残念ながら朝早過ぎて
お詣りは叶いませんでした。
今回のおめあてはこちらのお店。
店頭予約で発送はしておらず、
受取りに来店しなければなりま
せんが、現時点でなんと一年後!
でした。
でも大丈夫♪
店頭販売用にも多少焼いているので
朝早く並べば何とか買えるのです。
で、おなす&サリー、並んで待って。
無事ゲット!
これがその一年待ちのカステラ。
ふわふわであっという間に
食べちゃいそう。
長崎では本当によく猫ちゃんを
見かけました。
こんな神社もあります。
出島で貿易が行なわれていた頃、
尻尾の曲がった海外の猫が
長崎に来て繁殖したそうです。
猫好きの方にはたまりませんね。
食い気の私はこちら。
カステラならぬにゃすてらです。
尾曲がりの猫はしっぽに
幸せを引っかけて来てくれる
のですって。いいな。
こちらはカステラでアイスクリームを
挟んだサンドが有名。残念ながら
忘れ物です。
カステラであんこを巻いたもの。
母がゼッタイ喜ぶ!
大好きなシベリアみたいです
からね。
ガラスの箸置きも連れ帰りました。
カステラとお茶セットにカトラリー。
私の好きなものが詰まっています。
ついでに食パンのカトラリーレストも。
1つしかなくて残念無念。
それでもサリーの箸置きコレクション。
また増えて幸せです。
いちばんに思い浮かぶのは
カステラです。
老舗もたくさんあって
どこで買おうか迷うほど。
こんな神社までありますよ。
残念ながら朝早過ぎて
お詣りは叶いませんでした。
今回のおめあてはこちらのお店。
店頭予約で発送はしておらず、
受取りに来店しなければなりま
せんが、現時点でなんと一年後!
でした。
でも大丈夫♪
店頭販売用にも多少焼いているので
朝早く並べば何とか買えるのです。
で、おなす&サリー、並んで待って。
無事ゲット!
これがその一年待ちのカステラ。
ふわふわであっという間に
食べちゃいそう。
長崎では本当によく猫ちゃんを
見かけました。
こんな神社もあります。
出島で貿易が行なわれていた頃、
尻尾の曲がった海外の猫が
長崎に来て繁殖したそうです。
猫好きの方にはたまりませんね。
食い気の私はこちら。
カステラならぬにゃすてらです。
尾曲がりの猫はしっぽに
幸せを引っかけて来てくれる
のですって。いいな。
こちらはカステラでアイスクリームを
挟んだサンドが有名。残念ながら
忘れ物です。
カステラであんこを巻いたもの。
母がゼッタイ喜ぶ!
大好きなシベリアみたいです
からね。
ガラスの箸置きも連れ帰りました。
カステラとお茶セットにカトラリー。
私の好きなものが詰まっています。
ついでに食パンのカトラリーレストも。
1つしかなくて残念無念。
それでもサリーの箸置きコレクション。
また増えて幸せです。
長崎の旅。
いちばんの目的は端島、
通称軍艦島に上陸することでした、
1974年の閉山後は無人島となり、
風雨にさらされた建物は
いつ倒壊してもおかしくありません。
それどころか島自体が崩壊する
危険性もあるようで、
軍艦島を見たいなあなどと
悠長に構えている時間はないのです。
で、行くなら今!
しかし、悩ましいのが天候。
晴れていても風が強ければ
船は出航中止、運良く乗れたとしても
着岸時に波が高ければ上陸はできず、
島の周りを旋回するだけになります。
つまりは運次第。
これはもう祈るしかありません。
まずはこちらでオベンキョです。
ここは立体シアター。
5面のLEDディスプレイで部屋
全体が映像になっています。
もう没入感半端なし!
身体全体で軍艦島を感じます。
立入禁止区域をVRで仮想上陸
できるコーナーもあり、
上陸できなかった時のために(汗)
しかと見届けました。
南北に約480メートル、
東西に約160メートル、
周囲約1200メートル、
面積約65000平方メートル。
この小さな島に1959年には
5259人も暮らしていました。
人口密度は世界一、それは今も
破られていません。
端島炭鉱の石炭。
「黒ダイヤ」とも呼ばれ、
高品質だったことで、市場では
最も高値で取引されました。
しかし、それを採る炭鉱の仕事ときたら!!!
1891年から1974年の閉山まで
約1570トンもの石炭を
採掘した「ヤマの男」たち。
その仕事は常に死と隣り合わせでした。
何しろ一日三交代の8時間労働。
坑道は深さ606メートルから
最終的には1010メートルに!
坑内は気温30度、湿度95%ですよ。
その中で毎日8時間もの労働。
作業員たちのお給料は当時の
公務員の2~3倍だったということですが、
当然ですね。
端島には小・中学校や病院、商店、
映画館、ビリヤード場やパチンコ屋
などもあり、生活に必要なものは
ほぼ揃っていたそうです。
ないものは火葬場とお墓ぐらい。
交番と留置場もあったのですよ。
島民同士はみな仲良しなので
ここが使われるのは炭鉱マンたちが
泥酔した時ぐらいだったそうです。
そりゃ、飲まなきゃやってられませんよね。
部屋は6畳一間ですが、家賃は
なく、光熱費も安いので暮らしは
豊かだったとか。電気冷蔵庫、
電気洗濯機、白黒テレビの
三種の神器が100%の
普及。
当時の東京での普及率が
10%程度ですから
その裕福ぶりが伺えますね。
SNOWさんがここにいらしたら
きっとご近所さんの分まで
さっさかさ~と縫い上げた
ことでしょう。(^_^)v
そろそろ長崎港に向かいましょう。
その前にちょっとお散歩。
ここは出島ワーフ。
おしゃれなカフェが立ち並びます。
私としては五島うどんがおいしそう
だったな。はい、またまた忘れ物。
あれが私たちが乗り込む船です。
お天気は今ひとつですが、
風はないし、波は穏やか。
無事出港できそうです。
軍艦島までおよそ40分。
自衛隊の護衛艦が見えます。
巨大クレーンがズラリ並んで。
女神大橋の下を抜けますよ。
カトリック神ノ島教会。
ここ神ノ島には江戸前期から
キリシタンが潜伏していた
そうです。
おお! 見えてきました!
ミュージアムで見たままの姿です。
さて、上陸なるか?
無事上陸!
何だか信じられない思いです。
明日にでも崩壊してしまうかも
しれない軍艦島。今、そこに
立っているなんて。
端島では住居より鉱山施設が
優先。
精選された石炭を運ぶベルト
コンベアー。今はその支柱のみ
残っています。この島で現在
24時間動いているのはこの
白い灯台だけ。灯台の右横は
貯水槽です。
島での飲み水は当初は海水を
蒸留したもの。のちに
給水船で運ばれるようになって
それをこの貯水槽に蓄えていたそうです。
1957年には対馬の三和町から
6500メートルもの海底送水管が
敷かれ、送水可能になったのだとか。
いやはや、技術力の進歩、
素晴らしいですね。
小学校と中学校です。
このベルトコンベアーの支柱の
先に見える建物、鉱員社宅の
65棟です。なんと昭和20年
7月に完成。すべての物資が不足
する中、鉄筋の高層アパートが
造られたことに驚きです。
当時の賑やかさを想像すると
切ないですね。
ここは今日、今がいちばん
新しい姿。明日にはまたどこかで
崩壊が始まるかもしれません。
これは子どもたち用のプール
でした。さすがに海では
危なくて泳げませんからね。
高台の幹部社宅3号棟。
炭鉱マンは6畳一間でお風呂は
公衆浴場利用だったのに、
ここは3DKで室内風呂付き
でした。
見学後は船に戻り、島の周りを
巡ります。立入禁止区域は
船の中から確かめることになります。
ここでは鉱山施設優先だったので
波風にさらされるのは住居棟。
実際、台風の時は大変な被害が
あったようです。満潮時の台風では
波の高さは8メートル。打ち付ける
しぶきは高さ30メートル。建物の
上から見事にかぶるすさまじさだった
そうです。
端島神社の祠が見えます。
拝殿と鳥居はなくなりましたが
今もこうして端島を見守って
います。
エネルギー革命によって、端島は
無人島となりましたが、
日本初の高層鉄筋コンクリートアパートが
造られ、世界一長い海底水道が
敷設され、ほかにも日本一高い階層の
幼稚園や、小・中学校があったり、
日本初の屋上農園も。
そしてもちろん採掘される石炭は
日本一の品質である瀝青炭。
この小さな島が日本の近代化の
最先端だったことがわかります。
役目を終えた今も私たちを
引きつける軍艦島。
いちばんの目的は端島、
通称軍艦島に上陸することでした、
1974年の閉山後は無人島となり、
風雨にさらされた建物は
いつ倒壊してもおかしくありません。
それどころか島自体が崩壊する
危険性もあるようで、
軍艦島を見たいなあなどと
悠長に構えている時間はないのです。
で、行くなら今!
しかし、悩ましいのが天候。
晴れていても風が強ければ
船は出航中止、運良く乗れたとしても
着岸時に波が高ければ上陸はできず、
島の周りを旋回するだけになります。
つまりは運次第。
これはもう祈るしかありません。
まずはこちらでオベンキョです。
ここは立体シアター。
5面のLEDディスプレイで部屋
全体が映像になっています。
もう没入感半端なし!
身体全体で軍艦島を感じます。
立入禁止区域をVRで仮想上陸
できるコーナーもあり、
上陸できなかった時のために(汗)
しかと見届けました。
南北に約480メートル、
東西に約160メートル、
周囲約1200メートル、
面積約65000平方メートル。
この小さな島に1959年には
5259人も暮らしていました。
人口密度は世界一、それは今も
破られていません。
端島炭鉱の石炭。
「黒ダイヤ」とも呼ばれ、
高品質だったことで、市場では
最も高値で取引されました。
しかし、それを採る炭鉱の仕事ときたら!!!
1891年から1974年の閉山まで
約1570トンもの石炭を
採掘した「ヤマの男」たち。
その仕事は常に死と隣り合わせでした。
何しろ一日三交代の8時間労働。
坑道は深さ606メートルから
最終的には1010メートルに!
坑内は気温30度、湿度95%ですよ。
その中で毎日8時間もの労働。
作業員たちのお給料は当時の
公務員の2~3倍だったということですが、
当然ですね。
端島には小・中学校や病院、商店、
映画館、ビリヤード場やパチンコ屋
などもあり、生活に必要なものは
ほぼ揃っていたそうです。
ないものは火葬場とお墓ぐらい。
交番と留置場もあったのですよ。
島民同士はみな仲良しなので
ここが使われるのは炭鉱マンたちが
泥酔した時ぐらいだったそうです。
そりゃ、飲まなきゃやってられませんよね。
部屋は6畳一間ですが、家賃は
なく、光熱費も安いので暮らしは
豊かだったとか。電気冷蔵庫、
電気洗濯機、白黒テレビの
三種の神器が100%の
普及。
当時の東京での普及率が
10%程度ですから
その裕福ぶりが伺えますね。
SNOWさんがここにいらしたら
きっとご近所さんの分まで
さっさかさ~と縫い上げた
ことでしょう。(^_^)v
そろそろ長崎港に向かいましょう。
その前にちょっとお散歩。
ここは出島ワーフ。
おしゃれなカフェが立ち並びます。
私としては五島うどんがおいしそう
だったな。はい、またまた忘れ物。
あれが私たちが乗り込む船です。
お天気は今ひとつですが、
風はないし、波は穏やか。
無事出港できそうです。
軍艦島までおよそ40分。
自衛隊の護衛艦が見えます。
巨大クレーンがズラリ並んで。
女神大橋の下を抜けますよ。
カトリック神ノ島教会。
ここ神ノ島には江戸前期から
キリシタンが潜伏していた
そうです。
おお! 見えてきました!
ミュージアムで見たままの姿です。
さて、上陸なるか?
無事上陸!
何だか信じられない思いです。
明日にでも崩壊してしまうかも
しれない軍艦島。今、そこに
立っているなんて。
端島では住居より鉱山施設が
優先。
精選された石炭を運ぶベルト
コンベアー。今はその支柱のみ
残っています。この島で現在
24時間動いているのはこの
白い灯台だけ。灯台の右横は
貯水槽です。
島での飲み水は当初は海水を
蒸留したもの。のちに
給水船で運ばれるようになって
それをこの貯水槽に蓄えていたそうです。
1957年には対馬の三和町から
6500メートルもの海底送水管が
敷かれ、送水可能になったのだとか。
いやはや、技術力の進歩、
素晴らしいですね。
小学校と中学校です。
このベルトコンベアーの支柱の
先に見える建物、鉱員社宅の
65棟です。なんと昭和20年
7月に完成。すべての物資が不足
する中、鉄筋の高層アパートが
造られたことに驚きです。
当時の賑やかさを想像すると
切ないですね。
ここは今日、今がいちばん
新しい姿。明日にはまたどこかで
崩壊が始まるかもしれません。
これは子どもたち用のプール
でした。さすがに海では
危なくて泳げませんからね。
高台の幹部社宅3号棟。
炭鉱マンは6畳一間でお風呂は
公衆浴場利用だったのに、
ここは3DKで室内風呂付き
でした。
見学後は船に戻り、島の周りを
巡ります。立入禁止区域は
船の中から確かめることになります。
ここでは鉱山施設優先だったので
波風にさらされるのは住居棟。
実際、台風の時は大変な被害が
あったようです。満潮時の台風では
波の高さは8メートル。打ち付ける
しぶきは高さ30メートル。建物の
上から見事にかぶるすさまじさだった
そうです。
端島神社の祠が見えます。
拝殿と鳥居はなくなりましたが
今もこうして端島を見守って
います。
エネルギー革命によって、端島は
無人島となりましたが、
日本初の高層鉄筋コンクリートアパートが
造られ、世界一長い海底水道が
敷設され、ほかにも日本一高い階層の
幼稚園や、小・中学校があったり、
日本初の屋上農園も。
そしてもちろん採掘される石炭は
日本一の品質である瀝青炭。
この小さな島が日本の近代化の
最先端だったことがわかります。
役目を終えた今も私たちを
引きつける軍艦島。
長崎にはおいしいものがたくさん。
胃袋との数が全く合わないほどです。
それでもできるだけ攻めてきましたよ。
まずは茶碗蒸しで有名なこちら。
いつも大行列なので、早めに
並びました。
一番人気の茶碗蒸しセット。
茶碗蒸しと蒸し寿司がセットに
なった夫婦蒸しです。
肌寒い日だったので、この
ホカホカ蒸したてはうれしい。
茶碗蒸しの具は穴子、海老、
かしわ、椎茸、木耳、銀杏、
筍、かまぼこ、麩。
蒸し寿司の酢飯には刻んだごぼうと
はんぺんが入り、錦糸玉子と
でんぶ、穴子の蒲焼きそぼろが
盛られています。
このピンクのでんぶ、いつぶりでしょう。
甘さ控えめでおいしかったです。
茶碗蒸しはプルプル。お出汁が
効いてさすがのおいしさ。
うちでもこの夫婦蒸し、作って
みたいです。
ところで長崎ではミルクセーキは
飲み物ではなく、食べるものであることを
ご存知ですか?
どこの喫茶店にもありますが
せっかくなら……。
こちらでいただきましょう。
長崎で初めてできた喫茶店。
今年100周年です。
おめでとうございます。
これが長崎のミルクセーキです。
結構なボリュームですが、
さっぱりとしてスルスル入ります。
夏にまた食べたいな。
コーヒーには手作りクッキーの
サービス♪ 小腹が空いていたので
とってもありがたかったです。
ごちそうさまでした。
そして長崎といえばトルコライス!
名前の由来については諸説あるので
割愛しますが、とにかく
ボリュームたっぷりでとっても
やんちゃなワンプレートゴハンです。
トルコライスもたくさんの名店があって
悩みましたが、180超のメニューを誇る
お店に行ってみました。
私はコレ。
カレーピラフにオムレツ、サラダ、
トンカツにスパゲティナポリタン。
ソースはデミグラスを。
おなすさんは辛いカレーライスに
サラダ、トンカツ、塩味の
スパゲティ。ソースは同じく
デミグラス。
ご飯やスパゲティ、メインの種類が
豊富なので、組み合わせはいかようにも。
大雑把に見えますが、ひとつひとつが
どれもおいしくてびっくり。
オムレツなんてホテルみたいに
とろとろふわふわでした。
カレーピラフもいいお味で
人気店はやっぱり違うな。
トルコライスの食べ比べも
また楽しいでしょうね。
でもそれには若さが必要ね。(^^;)
おいしいものをたくさん知った
長崎の旅。
訪ねたい場所がまたひとつ増えました。
胃袋との数が全く合わないほどです。
それでもできるだけ攻めてきましたよ。
まずは茶碗蒸しで有名なこちら。
いつも大行列なので、早めに
並びました。
一番人気の茶碗蒸しセット。
茶碗蒸しと蒸し寿司がセットに
なった夫婦蒸しです。
肌寒い日だったので、この
ホカホカ蒸したてはうれしい。
茶碗蒸しの具は穴子、海老、
かしわ、椎茸、木耳、銀杏、
筍、かまぼこ、麩。
蒸し寿司の酢飯には刻んだごぼうと
はんぺんが入り、錦糸玉子と
でんぶ、穴子の蒲焼きそぼろが
盛られています。
このピンクのでんぶ、いつぶりでしょう。
甘さ控えめでおいしかったです。
茶碗蒸しはプルプル。お出汁が
効いてさすがのおいしさ。
うちでもこの夫婦蒸し、作って
みたいです。
ところで長崎ではミルクセーキは
飲み物ではなく、食べるものであることを
ご存知ですか?
どこの喫茶店にもありますが
せっかくなら……。
こちらでいただきましょう。
長崎で初めてできた喫茶店。
今年100周年です。
おめでとうございます。
これが長崎のミルクセーキです。
結構なボリュームですが、
さっぱりとしてスルスル入ります。
夏にまた食べたいな。
コーヒーには手作りクッキーの
サービス♪ 小腹が空いていたので
とってもありがたかったです。
ごちそうさまでした。
そして長崎といえばトルコライス!
名前の由来については諸説あるので
割愛しますが、とにかく
ボリュームたっぷりでとっても
やんちゃなワンプレートゴハンです。
トルコライスもたくさんの名店があって
悩みましたが、180超のメニューを誇る
お店に行ってみました。
私はコレ。
カレーピラフにオムレツ、サラダ、
トンカツにスパゲティナポリタン。
ソースはデミグラスを。
おなすさんは辛いカレーライスに
サラダ、トンカツ、塩味の
スパゲティ。ソースは同じく
デミグラス。
ご飯やスパゲティ、メインの種類が
豊富なので、組み合わせはいかようにも。
大雑把に見えますが、ひとつひとつが
どれもおいしくてびっくり。
オムレツなんてホテルみたいに
とろとろふわふわでした。
カレーピラフもいいお味で
人気店はやっぱり違うな。
トルコライスの食べ比べも
また楽しいでしょうね。
でもそれには若さが必要ね。(^^;)
おいしいものをたくさん知った
長崎の旅。
訪ねたい場所がまたひとつ増えました。
旅先でも早起きのおなす&サリー。
この日もさっさと朝のお散歩に
出かけました。
出島和蘭商館跡です。
鎖国時代、西欧に開かれた
唯一の窓口。この看板のように
扇型をした人工の島でした。
15分の1の模型、ミニ出島。
成り立ちが一目でわかります。
フレンドシップメモリー。
この彫刻は日本とポルトガルの
交流に尽力した6人の人物を
題材にしたものです。
しかし、あたしゃ……。
ザビエルさんしかわかりません
でした。オベンキョ不足で
本当にごめんなさい。(^^;)
天秤量り。
オランダ船が運んできた輸入品の
砂糖などを計量するのに使われ
ました。
さあ、まずは出島シアターで
オベンキョしましょう。
輸入品を保管する倉庫が
いくつもあります。これは一番蔵。
オランダ人は倉庫に花の名前を
つけていたのですって。
ここは「バラ」蔵。素敵ねえ。
そして二番蔵。
ここは「チューリップ」蔵ですよ。
ほかにもピンクのカーネーションを
意味する「アニェリール」という
蔵もあります。
カピタン部屋。
卓袱料理でオベンキョしましたから
大丈夫。商館長のことですね。
住まいと客のもてなしの場を
兼ねています。
和蘭冬至(クリスマス)を祝う
食卓が再現されています。
豚の頭にびっくり。
美しかったのがこの天井や
壁。和紙に木版で連続模様を
摺った唐紙が貼られています。
しかも部屋ごとに模様が違う
のです。天井もこんな風に
遊べばよかった。うちのリフォーム
前に来たかったです。
料理部屋。
和蘭冬至のごちそうを用意して
いたのでしょうか。だって
豚の頭がある~。
それにしてもこんなに小さな島から
西欧の優れた知識と文化が
日本中に広まっていったとは
出島和蘭商館の役割は
大きかったのですね。
キリスト教が禁じられていたので
クリスマスもオランダの冬至と
言ったり、出島の外に
出られなかったり、商館員たちの
暮らしは不自由なことも
多かったとか。
それでもワインやコーヒーを飲んだり、
ビリヤードをしたり、暮らしを
楽しんでいたよう。
日本の通訳たちもコーヒーを
おねだりしたり、微笑ましい交流が
日常的にあったのでしょう。
小さな出島を歩きながら
当時の暮らしに想いを馳せました。
この日もさっさと朝のお散歩に
出かけました。
出島和蘭商館跡です。
鎖国時代、西欧に開かれた
唯一の窓口。この看板のように
扇型をした人工の島でした。
15分の1の模型、ミニ出島。
成り立ちが一目でわかります。
フレンドシップメモリー。
この彫刻は日本とポルトガルの
交流に尽力した6人の人物を
題材にしたものです。
しかし、あたしゃ……。
ザビエルさんしかわかりません
でした。オベンキョ不足で
本当にごめんなさい。(^^;)
天秤量り。
オランダ船が運んできた輸入品の
砂糖などを計量するのに使われ
ました。
さあ、まずは出島シアターで
オベンキョしましょう。
輸入品を保管する倉庫が
いくつもあります。これは一番蔵。
オランダ人は倉庫に花の名前を
つけていたのですって。
ここは「バラ」蔵。素敵ねえ。
そして二番蔵。
ここは「チューリップ」蔵ですよ。
ほかにもピンクのカーネーションを
意味する「アニェリール」という
蔵もあります。
カピタン部屋。
卓袱料理でオベンキョしましたから
大丈夫。商館長のことですね。
住まいと客のもてなしの場を
兼ねています。
和蘭冬至(クリスマス)を祝う
食卓が再現されています。
豚の頭にびっくり。
美しかったのがこの天井や
壁。和紙に木版で連続模様を
摺った唐紙が貼られています。
しかも部屋ごとに模様が違う
のです。天井もこんな風に
遊べばよかった。うちのリフォーム
前に来たかったです。
料理部屋。
和蘭冬至のごちそうを用意して
いたのでしょうか。だって
豚の頭がある~。
それにしてもこんなに小さな島から
西欧の優れた知識と文化が
日本中に広まっていったとは
出島和蘭商館の役割は
大きかったのですね。
キリスト教が禁じられていたので
クリスマスもオランダの冬至と
言ったり、出島の外に
出られなかったり、商館員たちの
暮らしは不自由なことも
多かったとか。
それでもワインやコーヒーを飲んだり、
ビリヤードをしたり、暮らしを
楽しんでいたよう。
日本の通訳たちもコーヒーを
おねだりしたり、微笑ましい交流が
日常的にあったのでしょう。
小さな出島を歩きながら
当時の暮らしに想いを馳せました。
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