小さなキッチンから主婦サリーのささやかな暮らしを届けます。
長崎の旅。
いちばんの目的は端島、
通称軍艦島に上陸することでした、
1974年の閉山後は無人島となり、
風雨にさらされた建物は
いつ倒壊してもおかしくありません。
それどころか島自体が崩壊する
危険性もあるようで、
軍艦島を見たいなあなどと
悠長に構えている時間はないのです。
で、行くなら今!
しかし、悩ましいのが天候。
晴れていても風が強ければ
船は出航中止、運良く乗れたとしても
着岸時に波が高ければ上陸はできず、
島の周りを旋回するだけになります。
つまりは運次第。
これはもう祈るしかありません。
まずはこちらでオベンキョです。
ここは立体シアター。
5面のLEDディスプレイで部屋
全体が映像になっています。
もう没入感半端なし!
身体全体で軍艦島を感じます。
立入禁止区域をVRで仮想上陸
できるコーナーもあり、
上陸できなかった時のために(汗)
しかと見届けました。
南北に約480メートル、
東西に約160メートル、
周囲約1200メートル、
面積約65000平方メートル。
この小さな島に1959年には
5259人も暮らしていました。
人口密度は世界一、それは今も
破られていません。
端島探鉱の石炭。
「黒ダイヤ」とも呼ばれ、
高品質だったことで、市場では
最も高値で取引されました。
しかし、それを採る炭鉱の仕事ときたら!!!
1891年から1974年の閉山まで
約1570トンもの石炭を
採掘した「ヤマの男」たち。
その仕事は常に死と隣り合わせでした。
何しろ一日三交代の8時間労働。
坑道は深さ606メートルから
最終的には1010メートルに!
坑内は気温30度、湿度95%ですよ。
その中で毎日8時間もの労働。
作業員たちのお給料は当時の
公務員の2~3倍だったということですが、
当然ですね。
端島には小・中学校や病院、商店、
映画館、ビリヤード場やパチンコ屋
などもあり、生活に必要なものは
ほぼ揃っていたそうです。
ないものは火葬場とお墓ぐらい。
交番と留置場もあったのですよ。
島民同士はみな仲良しなので
ここが使われるのは炭鉱マンたちが
泥酔した時ぐらいだったそうです。
そりゃ、飲まなきゃやってられませんよね。
部屋は6畳一間ですが、家賃は
なく、光熱費も安いので暮らしは
豊かだったとか。電気冷蔵庫、
電気洗濯機、白黒テレビの
三種の神器が100%の
普及。
当時の東京での普及率が
10%程度ですから
その裕福ぶりが伺えますね。
SNOWさんがここにいらしたら
きっとご近所さんの分まで
さっさかさ~と縫い上げた
ことでしょう。(^_^)v
そろそろ長崎港に向かいましょう。
その前にちょっとお散歩。
ここは出島ワーフ。
おしゃれなカフェが立ち並びます。
私としては五島うどんがおいしそう
だったな。はい、またまた忘れ物。
あれが私たちが乗り込む船です。
お天気は今ひとつですが、
風はないし、波は穏やか。
無事出港できそうです。
軍艦島までおよそ40分。
自衛隊の護衛艦が見えます。
巨大クレーンがズラリ並んで。
女神大橋の下を抜けますよ。
カトリック神ノ島教会。
ここ神ノ島には江戸前期から
キリシタンが潜伏していた
そうです。
おお! 見えてきました!
ミュージアムで見たままの姿です。
さて、上陸なるか?
無事上陸!
何だか信じられない思いです。
明日にでも崩壊してしまうかも
しれない軍艦島。今、そこに
立っているなんて。
端島では住居より鉱山施設が
優先。
精選された石炭を運ぶベルト
コンベアー。今はその支柱のみ
残っています。この島で現在
24時間動いているのはこの
白い灯台だけ。灯台の右横は
貯水槽です。
島での飲み水は当初は海水を
蒸留したもの。のちに
給水船で運ばれるようになって
それをこの貯水槽に蓄えていたそうです。
1957年には対馬の三和町から
6500メートルもの海底送水管が
敷かれ、送水可能になったのだとか。
いやはや、技術力の進歩、
素晴らしいですね。
小学校と中学校です。
このベルトコンベアーの支柱の
先に見える建物、鉱員社宅の
65棟です。なんと昭和20年
7月に完成。すべての物資が不足
する中、鉄筋の高層アパートが
造られたことに驚きです。
当時の賑やかさを想像すると
切ないですね。
ここは今日、今がいちばん
新しい姿。明日にはまたどこかで
崩壊が始まるかもしれません。
これは子どもたち用のプール
でした。さすがに海では
危なくて泳げませんからね。
高台の幹部社宅3号棟。
炭鉱マンは6畳一間でお風呂は
公衆浴場利用だったのに、
ここは3DKで室内風呂付き
でした。
見学後は船に戻り、島の周りを
巡ります。立入禁止区域は
船の中から確かめることになります。
ここでは鉱山施設優先だったので
波風にさらされるのは住居棟。
実際、台風の時は大変な被害が
あったようです。満潮時の台風では
波の高さは8メートル。打ち付ける
しぶきは高さ30メートル。建物の
上から見事にかぶるすさまじさだった
そうです。
端島神社の祠が見えます。
拝殿と鳥居はなくなりましたが
今もこうして端島を見守って
います。
エネルギー革命によって、端島は
無人島となりましたが、
日本初の高層鉄筋コンクリートアパートが
造られ、世界一長い海底水道が
敷設され、ほかにも日本一高い階層の
幼稚園や、小・中学校があったり、
日本初の屋上農園も。
そしてもちろん採掘される石炭は
日本一の品質である瀝青炭。
この小さな島が日本の近代化の
最先端だったことがわかります。
役目を終えた今も私たちを
引きつける軍艦島。
いちばんの目的は端島、
通称軍艦島に上陸することでした、
1974年の閉山後は無人島となり、
風雨にさらされた建物は
いつ倒壊してもおかしくありません。
それどころか島自体が崩壊する
危険性もあるようで、
軍艦島を見たいなあなどと
悠長に構えている時間はないのです。
で、行くなら今!
しかし、悩ましいのが天候。
晴れていても風が強ければ
船は出航中止、運良く乗れたとしても
着岸時に波が高ければ上陸はできず、
島の周りを旋回するだけになります。
つまりは運次第。
これはもう祈るしかありません。
まずはこちらでオベンキョです。
ここは立体シアター。
5面のLEDディスプレイで部屋
全体が映像になっています。
もう没入感半端なし!
身体全体で軍艦島を感じます。
立入禁止区域をVRで仮想上陸
できるコーナーもあり、
上陸できなかった時のために(汗)
しかと見届けました。
南北に約480メートル、
東西に約160メートル、
周囲約1200メートル、
面積約65000平方メートル。
この小さな島に1959年には
5259人も暮らしていました。
人口密度は世界一、それは今も
破られていません。
端島探鉱の石炭。
「黒ダイヤ」とも呼ばれ、
高品質だったことで、市場では
最も高値で取引されました。
しかし、それを採る炭鉱の仕事ときたら!!!
1891年から1974年の閉山まで
約1570トンもの石炭を
採掘した「ヤマの男」たち。
その仕事は常に死と隣り合わせでした。
何しろ一日三交代の8時間労働。
坑道は深さ606メートルから
最終的には1010メートルに!
坑内は気温30度、湿度95%ですよ。
その中で毎日8時間もの労働。
作業員たちのお給料は当時の
公務員の2~3倍だったということですが、
当然ですね。
端島には小・中学校や病院、商店、
映画館、ビリヤード場やパチンコ屋
などもあり、生活に必要なものは
ほぼ揃っていたそうです。
ないものは火葬場とお墓ぐらい。
交番と留置場もあったのですよ。
島民同士はみな仲良しなので
ここが使われるのは炭鉱マンたちが
泥酔した時ぐらいだったそうです。
そりゃ、飲まなきゃやってられませんよね。
部屋は6畳一間ですが、家賃は
なく、光熱費も安いので暮らしは
豊かだったとか。電気冷蔵庫、
電気洗濯機、白黒テレビの
三種の神器が100%の
普及。
当時の東京での普及率が
10%程度ですから
その裕福ぶりが伺えますね。
SNOWさんがここにいらしたら
きっとご近所さんの分まで
さっさかさ~と縫い上げた
ことでしょう。(^_^)v
そろそろ長崎港に向かいましょう。
その前にちょっとお散歩。
ここは出島ワーフ。
おしゃれなカフェが立ち並びます。
私としては五島うどんがおいしそう
だったな。はい、またまた忘れ物。
あれが私たちが乗り込む船です。
お天気は今ひとつですが、
風はないし、波は穏やか。
無事出港できそうです。
軍艦島までおよそ40分。
自衛隊の護衛艦が見えます。
巨大クレーンがズラリ並んで。
女神大橋の下を抜けますよ。
カトリック神ノ島教会。
ここ神ノ島には江戸前期から
キリシタンが潜伏していた
そうです。
おお! 見えてきました!
ミュージアムで見たままの姿です。
さて、上陸なるか?
無事上陸!
何だか信じられない思いです。
明日にでも崩壊してしまうかも
しれない軍艦島。今、そこに
立っているなんて。
端島では住居より鉱山施設が
優先。
精選された石炭を運ぶベルト
コンベアー。今はその支柱のみ
残っています。この島で現在
24時間動いているのはこの
白い灯台だけ。灯台の右横は
貯水槽です。
島での飲み水は当初は海水を
蒸留したもの。のちに
給水船で運ばれるようになって
それをこの貯水槽に蓄えていたそうです。
1957年には対馬の三和町から
6500メートルもの海底送水管が
敷かれ、送水可能になったのだとか。
いやはや、技術力の進歩、
素晴らしいですね。
小学校と中学校です。
このベルトコンベアーの支柱の
先に見える建物、鉱員社宅の
65棟です。なんと昭和20年
7月に完成。すべての物資が不足
する中、鉄筋の高層アパートが
造られたことに驚きです。
当時の賑やかさを想像すると
切ないですね。
ここは今日、今がいちばん
新しい姿。明日にはまたどこかで
崩壊が始まるかもしれません。
これは子どもたち用のプール
でした。さすがに海では
危なくて泳げませんからね。
高台の幹部社宅3号棟。
炭鉱マンは6畳一間でお風呂は
公衆浴場利用だったのに、
ここは3DKで室内風呂付き
でした。
見学後は船に戻り、島の周りを
巡ります。立入禁止区域は
船の中から確かめることになります。
ここでは鉱山施設優先だったので
波風にさらされるのは住居棟。
実際、台風の時は大変な被害が
あったようです。満潮時の台風では
波の高さは8メートル。打ち付ける
しぶきは高さ30メートル。建物の
上から見事にかぶるすさまじさだった
そうです。
端島神社の祠が見えます。
拝殿と鳥居はなくなりましたが
今もこうして端島を見守って
います。
エネルギー革命によって、端島は
無人島となりましたが、
日本初の高層鉄筋コンクリートアパートが
造られ、世界一長い海底水道が
敷設され、ほかにも日本一高い階層の
幼稚園や、小・中学校があったり、
日本初の屋上農園も。
そしてもちろん採掘される石炭は
日本一の品質である瀝青炭。
この小さな島が日本の近代化の
最先端だったことがわかります。
役目を終えた今も私たちを
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