小さなキッチンから主婦サリーのささやかな暮らしを届けます。
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旅先でも早起きのおなす&サリー。

この日もさっさと朝のお散歩に

出かけました。











 出島和蘭商館跡です。

 鎖国時代、西欧に開かれた

 唯一の窓口。この看板のように

 扇型をした人工の島でした。



















 15分の1の模型、ミニ出島。

 成り立ちが一目でわかります。
























 フレンドシップメモリー。

 この彫刻は日本とポルトガルの

 交流に尽力した6人の人物を

 題材にしたものです。

 しかし、あたしゃ……。

















 ザビエルさんしかわかりません

 でした。オベンキョ不足で

 本当にごめんなさい。(^^;)






















 天秤量り。

 オランダ船が運んできた輸入品の

 砂糖などを計量するのに使われ

 ました。




















 さあ、まずは出島シアターで

 オベンキョしましょう。























 輸入品を保管する倉庫が

 いくつもあります。これは一番蔵。

 オランダ人は倉庫に花の名前を

 つけていたのですって。

 ここは「バラ」蔵。素敵ねえ。















 そして二番蔵。

 ここは「チューリップ」蔵ですよ。

 ほかにもピンクのカーネーションを

 意味する「アニェリール」という

 蔵もあります。

















 カピタン部屋。

 卓袱料理でオベンキョしましたから

 大丈夫。商館長のことですね。

 住まいと客のもてなしの場を

 兼ねています。


















 和蘭冬至(クリスマス)を祝う

 食卓が再現されています。

 豚の頭にびっくり。























 美しかったのがこの天井や

 壁。和紙に木版で連続模様を

 摺った唐紙が貼られています。

 



















 しかも部屋ごとに模様が違う

 のです。天井もこんな風に

 遊べばよかった。うちのリフォーム

 前に来たかったです。




















 料理部屋。

 和蘭冬至のごちそうを用意して

 いたのでしょうか。だって

 豚の頭がある~。




















それにしてもこんなに小さな島から

西欧の優れた知識と文化が

日本中に広まっていったとは

出島和蘭商館の役割は

大きかったのですね。

 

 






キリスト教が禁じられていたので

クリスマスもオランダの冬至と

言ったり、出島の外に

出られなかったり、商館員たちの

暮らしは不自由なことも

多かったとか。











それでもワインやコーヒーを飲んだり、

ビリヤードをしたり、暮らしを

楽しんでいたよう。

日本の通訳たちもコーヒーを

おねだりしたり、微笑ましい交流が

日常的にあったのでしょう。














小さな出島を歩きながら

当時の暮らしに想いを馳せました。















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